今日は大きなできごとが起こりました。助けてくださいという声と、苦しみもがいている苦痛の表情が何重にもなって霧のように地上に立ち込めています。読み始めたお経をやめることができないほど言葉にならないパニック達が命乞いをしてきます。体が亡くなるとまずはじめに後悔します。封じ込めていた自分の本心がしっかりと見えるからです。本当は謝りたかった本当は好きだった本当はあんなことしたくなかったそういう純心が一気にあふれ、もう一度、この純心で生き直したい、と心から思います。その後悔で、霊になってから自分を責め続ける期間は永遠に感じることでしょう。宇宙の叡智の前に私たちはあまりにも未熟で続きをみる
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